今日は育休明けの2日目
とても感じていることがある
仕事場で仕事をしなくなったときに本当にいい仕事ができるようになるのではないか
これはいろいろと前提条件がいるかもしれないが私はそう感じている
仕事場にいると、今までやってきた業務や同僚、お客さんなど、まわりに気を使っている
そして私は仕事してますよ!と仕事をしているフリ、アピールが必要になる
時給をもらっているのだから、ボーっとしていたり寝ていたりはできない
仕事の種類というのは同じ職場でも無数にある
レジや品出しの仕事もあれば、次の広告案のためにパソコンで調べたり、結果を分析をしたり、事務仕事など無数にある
私が思ったのは「仕事をしているふり」をするために本当にしなければいけないことが、できていないのではないかということ
それは「判断」である
世の中には何も一生懸命に働いたからと言ってそれに見合った対価を得られるものではない
一歩も動かずとも重要な「決定」を下す、ここにものすごく大きなコストを割いている会社はたくさんある
「判断」が正しくなければどれだけ働いても仕事は楽にはならない
でも8時間も仕事をしなくても、1つの判断で多くのスタッフの給料を支払えるような結果を生むことだってある
この事実はたくさんのビジネス書などを読んでいれば見つけることができる
日本人は生産性が低いと言われている
8時間働かなくとも6時間で同じ結果を出すにはどうすればいいのか?
3時間で同じ結果を出すにはどうすればいいか?
こういった事を考えたり学んではいない
きっと考えもしないだろう
むしろ8時間だけでなく10時間、12時間と働く人間が会社にとって必要な人材
というイメージは根強く今も残っていると思う
会社のステージによっては寝食を忘れて働くタイミングだってあると思う
でも1つの判断で大きな効果を生み出し
正しい判断をするために仕事時間の多くを思考に費やしている人がかならずいる
なぜならほとんどのことは自分がやらなくても仕組みがあれば代用可能だからだ
私の部下のパートさんも優秀で社員と同じ能力がある
いやそれ以上だ
でもなぜか給料は最低賃金で働いている
今の自分はどこにいるのかわからないが、自分が学んできたこと、やっていることをどんどんスタッフや人に伝えていきたいと思う
そして顔も知らない多くの人を喜ばせるのではなく、目の前にいる、また身近にいる困っている人の為に自分ができることをすることで、本当に価値のある仕事ができるのではないか
そしてそのやったことを私なりの言葉や表現方法で世の中に伝わるようにしていきたい
まずは目の前の人、身近な人、顔の見える人、その人が本当に助かることってどんなことだろうか
私は真剣に考えたことがないかもしれない
助けるふりをし続けてきたのかもしれない
短期的な人とは付き合わない
全ては長期的に付き合うことで、福利によって最大化できるのだから